>■ ON THE "SETO"OCEAN ROAD 〜瀬戸内横断隊に(無謀にも一部)参加して〜

[2006/1/21]

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スロータートル(SLOW Turtle)へようこそ T-shirts, Tシャツ, インディアン, 反戦
↑初日、小豆島、夜明け。出発前の準備。
スロータートル(SLOW Turtle)へようこそ T-shirts, Tシャツ, インディアン, 反戦
↑内田正洋さん始め、そうそうたるシーカヤッカーの面々に混じりキンチョーしている(向かって左端オレンジが自分)
スロータートル(SLOW Turtle)へようこそ T-shirts, Tシャツ, インディアン, 反戦
↑いざセトウチに出陣!ナギの海面がありがたい!
スロータートル(SLOW Turtle)へようこそ T-shirts, Tシャツ, インディアン, 反戦
↑朝日に照らされながら気分はサイコー!(後で待ち受ける試練を知らぬがホトケ)
スロータートル(SLOW Turtle)へようこそ T-shirts, Tシャツ, インディアン, 反戦
↑大潮向かい風逆潮をやっと抜けて、この日のゴールにたどり着く。

歯をくいしばって必死で漕いでいるんだが、横に見る岬の景色は全く変わっていかない。こりゃ、ヤバイかもと時折思いながらも、一本の細い黄色い牽引ロープが、とてもありがたい、安心感この上ない、まるで天国からたらされた蜘蛛の糸のように思えてくる。またこのシンドさと、充実した気持ちが交互に混じるこの感覚は、どこかで経験したような・・・そうだ、4日間食を断って踊り続けるサンダンスの時の、あの感覚のようだ・・・。

初日のラスト、満月翌日の大潮、向かい風のため予定より一時間早く逆潮が上ってきて・・・プロのガイド3人の仲間に引っ張ってもらって事無きを得たけど、最後このグジャグジャの激流3キロ余りは海の怖さが身にしみた。

自分のカヤックの力量は、もちろんド素人だって言うのは判ってはいたが、それでも参加してみたいって思ったのは、今年5月に山口の油谷湾で開かれたシーカヤック・アカデミーに初参加して以来再び縁が戻った原発問題で揺れる祝島に、今年は小豆島から向かうと決定された、って言うのが一番の理由だ。

僕が生まれ育ったのは兵庫の西端、忠臣蔵で知られる播州赤穂。おやじの仕事の都合で小4から中2まで道一つ向こうが海のところで、釣りをしたり泳いだりカニを突いたりと、毎日瀬戸内に抱かれ育った。

カリフォルニアやハワイに憧れたティーンエイジャーの頃は、サーフィンしたくても波はないし、なんてショボイ海だ、と、湘南や伊良湖など太平洋のほうが断然カッコイイと思えた時期もあったけど、今年25年振りにここ赤穂に戻ってきて初めてカヤックなるものに触れ、ようやく大小無数の島々が並ぶ瀬戸内の良さに気づいたって訳。

この赤穂から目の前に一際大きく見えるのが小豆島。

そして目的地である祝島の目の前3キロに予定されている上関原発予定地には、今年6月以来2回、地元山口のカヤッカー達や、瀬戸内の水軍末裔と思しき広島のプロガイド、そして祝島漁師たちの漁船団とともに海上デモで漕いできたこともあり、瀬戸内ヤポネシアンの聖地であり最後の砦とも言えるここ祝島には同じ瀬戸内海に暮らす自分としても一層特別な思いを抱いてきた。

今年アカデミーで初めて聞いた瀬戸内横断隊の話に、いつかそのうちカヤックの技術と経験が伴ったら参加してみたい、と漠然と抱いた思いが、その技術も経験も伴なわないうちに、例え一部とはいえ参加することになるとはその時はまさか夢にも思わなかったが、それもこれも祝島におられる神様のお導きではないかと、マジで思っている。

母なる海を守りなさい、と。

'80年代の終りころから、インディアンと呼ばれるアメリカ先住民の住む広大な大地を訪ねること15年余り、いろいろな部族の居留地や儀式を巡った。なかでも日本では神奈川県に匹敵するくらいの面積に暮らす1万人以上のナバホとホピを強制的に移住させて、一帯を石炭、ウランなどの地下資源のために破壊しようとする、その中心部にあたる聖地ビッグマウンテンには'90年以来ほぼ毎年通っている。そして、ここで行われるサンダンスという儀式に参加させてもらいながら、日本にもこの問題を広めまた多くの学びをいただいた。

この地に暮らす長老たちは言う。

「聖なる場所を破壊するということは、その地域だけではない、この地球上すべてを司るバランスが狂い、そのネガティブな影響はこの星全体におよぶ。だから聖地と呼ばれる昔からそこに暮らす人々が崇め守ってきた特別な場所は、決して破壊してはいけない。」

昨年夏至の日、富士山にアラスカやアメリカ、中米の各部族の先住民や、ハワイ、ニュージーランド、オーストラリア、アフリカ、アイルランド・・・の先住民やアイヌ、沖縄、そして日本各地から大勢の人が集い開催された「World Peace & Prayer Day2004せかいへいわといのりの日」に事務局メンバーとして関わり、あらためて美しき富士の聖性を見ると同時に、登山ゴミや不法投棄、リゾート開発、そして軍事演習で破壊された現状をまざまざと見せつけられ、このヤポネシア日本列島の行く末を大いに案じさせられた。

そして我が故郷に戻り、偶然とは思えないシーカヤックの世界との出会いで、数十年振りに生まれ育った母なる海〜セトウチに〜漕ぎ出でてみれば〜真白にぞ〜、エーッ!!国立公園にもかかわらず、海沿いに並ぶ無数の工業コンビナート群と空港や人口アイランド造成用に島影が無くなるほど無残にもえぐり削られた目の前に浮かぶ家島諸島。そんな瀬戸内海の最後の聖域とも言える周防灘、上関長島周辺を埋立て造られようとする原子力発電所・・・。

まるで海のように広大なアリゾナの大地に、時にはピースウォークという手段で歩いて通った15年。聖地を守るための儀式や彼らから学んだ生き方・・そして今年出会った海洋先住民のカヤックというフネを通じて、ようやく自分と生まれ育った場所が繋がった。そう、感じている。

もちろんまだまだ、自分がこの島のネイティブだ、と胸を張って言えるまで、自分自身の感覚も感性も取り戻せていないのは当然だし、また伝統も文化も僕ら自身失って久しいことをインディアンたちとつきあって痛いほど判ってはいるけれど、まずはその意識というか、それを自覚する、というところには至ったかなと。

と言うわけで、カヤックを漕ぐ、ということの意義とかは自分なりには理解しているつもりだったけれど、いかんせん、まだ技術と経験があまりにも伴っていないことも、今回の経験踏まえてよ〜く身にしみ理解した。

一歩間違えると命を無くす! という当たり前のことにも。

ボクがカヤックやろうと思った1番の理由は、いつの日かやって来るホクレア号を、この島に暮らす民の一人して、海の上出迎えたいと思ったからだ。またそんなヤポネシアン・アイランダーの感性をカヤック漕いで海に出ることで、なんとか少しでも取り戻そうと。

ハワイを始め太平洋の島々に住むポリネシアンたちの意識革命にもなったホクレア号の航海は太平洋カヌー・ルネッサンスとも呼ばれている。ガイア・シンフォニー第3番でも取り上げられた、現代計器や機械による動力を一切使わず、星や風や潮を観ながら遥か洋上の目的地へとたどり着く、甦った古代カヌー。

そんなホクレア号が2007年、日本列島ヤポネシアを目指してやってくるらしい。

そのときは海洋モンゴロイド、ヤポネシアン・スピリットの大いなる覚醒になるはずだし、またかつてこの海を自由に行き来していた海族(海賊ではなく)スピリットの復活の時にしたい!と願っている。

とにかくその日まで、漕いで漕いで、たっぷり海を感じて、海の道の上、とにかく楽しみながら、自分自身の身体と魂のどこかに眠ってしまっている、この海と同じ成分の濃度を持つ血を蘇らせていこうと思っている。

(その前に、先ずは次回瀬戸内横断隊全漕破目指すぞ!!)

ALL MY RELATIONS !

ハル


(追伸)
昨年11月、始めたばかりのシーカヤックで、初日と最終日だけ内田正洋さん率いる瀬戸内横断隊に参加させてもらいました。そのことについて、その僕のビギナー顛末話含めた内田さんのレポートがターザン誌458号(P120〜125)に特集されています。香川と岡山の間に浮かぶ小豆島から山口県の周防灘に位置する祝島まで約300キロ。祝島漁船団につけてもらおうと思い、全漕メンバーに手分けしてもらい約50枚のアースフラッグ(地球旗)も届けました。

また、今回の横断隊メンバーに佐久間洋之介君というプロサーファーで素晴らしいウォーターマンがいました。彼も初参加でしたが、一日漕いだ後素潜りで魚を捕ったりして、僕たちも新鮮な瀬戸内の幸を食べさせてもらいました。笑顔がすごく爽やかな20代半ばの青年で、数日会っただけでしたが、すごく印象に残っています。その洋之介が年明け早々に海の事故で亡くなったというニュースを聞いた時は耳を疑いました。まさしく海の申し子そのもののような彼が海に召されるなんて・・・。

日本を代表するビッグウェーバーだと聞いてはいましたが、お別れ会の案内に添えてあった彼の波乗りの写真は、彼自身が豆粒のように映ってる後ろに30フィート以上はあろうかと思われる大波がブレークしています。日本中の海から不要 なテトラポットを取り除く活動も始めていたそうで、その一環としてサーフ・ムービーの会社を設立したばかりだったとも。

SPIRIT NEVER DIE ! スピリットは死ぬことはない。イノチは永遠に在り続ける。
インデイアンの世界でそう教わりました。

彼のタマシイは、海や環境に関わる生き方をしているものたちをこれから先、導いてくれるのだと、そうボクは信じています。

ホクレア号をはじめ多くのハワイアン・ネイティブたちの精神的支柱となっている、伝説のウォーターマン、あのエディ・アイカウのように。

ALL MY RELATIONS !

イノチは全てつながっている!

ハル

(ターザン誌459号P71に、内田さんによる洋之介君の追悼特集が載っています)

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