[2007/12/20]
地図を眺めて、直島から白石島〜因島〜大三島〜上蒲刈島〜倉橋島そして周防大島と順を追ってたどっていく。最後、祝島まで。
改めて本当に自分が漕いでいったのかな? と思ってしまう。
手の平に出来たたくさんのマメは、いまはもうかすかに残るだけだけど、爪の中の内出血はまだ赤黒く変色したままで所々白く爪が浮いている。それを見るたび、やっぱり夢じゃなかったんだよな、と・・・。
2007年11月15日、一応一週間分のスケジュールを確保して、食事、装備一式持って直島に向かった。けれど7日間漕げる自信なんて全くなかったし、毎日起きてみてその日の天候、海況と何より自分の能力や体調次第だって思ってた。
それは2年前の体験からすれば当たり前だし、かといってあれから多少上達はしていると思ってはみても、何といってもこれは瀬戸内カヤック横断隊!
シーカヤックを生業とする古参の隊員、原くんが言う、「おそらくグループツーリングの中では世界最高峰のレヴェルでのシーカヤッキングだろう」。その言葉は決して彼の自画自賛ではなく、読んで字の如く、だと想像出来るから。
そんな彼が昨年のある過酷な状況に対して言う、「自分は大丈夫じゃと思ったけど、もし誰かが沈したら助けられんかったかもしれん」と。続けて「でも、もし何か命に関わる事故が起きたら、自分は職業としてもう、ガイドは出来ん・・」。
そんな言葉を、酒を飲みながらでも聞いていたから、自分のような経験の浅い人間が生半可な気持ちで参加すると、迷惑かかるし、ヤバいよな〜、って思っていた。
それでも、今回再び参加してみようと思ったのは、今年5月に瀬戸内にやってきたホクレア号を出迎えるため、シーカヤックに乗って祝島まで漕いだ時の経験と感動に依るところが大きい。
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ホクレアが祝島にやってくる前日、カヤックを出す時に見えた沖の白波と揺れる木々が不安と緊張を誘った。案の定、港の波止を抜けたとたん、向かい風に近い風が白波となって押し寄せる荒れた海に様変わり。自分にとっては初めてのそんな波と風。というか自分一人じゃ絶対出ない! でもホクレアを海の上カヤックで迎えるために、それだけに始めたカヤックで、その夢が現実となって翌日にやってくる。そのためにはここをいま漕ぐしかない! そんな思いで必死にパドルを動かし、そして前回横断隊で聞いた、漕いでいる限りはカヤックは沈まない、という言葉を頭の中で反復しながら、とにかく前へ!前へ!
と漕いでいた。
すると、いつのまにか、必死だった思いがうれしさに変わっているではないか。
祝島が見えだした頃から感じ始めた、この続く海のすぐ先にはホクレアがこっちに向かってくる予感。それが喜びとなって海を伝ってくる。
この島、この海の神様が呼んでるんだ。ホクレアも、そしてオレタチも!
そして最後には波に上下しながらも「バカもリコウ〜もミンナ〜このシオのナガレ〜もまれながらゆくの〜ヤポネシア〜♪」とボブさんの名曲「ヤポネシア フリーウェイ」を大声で歌いながら漕いでいた。
なぜかその時に思った。ここの海はやさしいな〜、女性的な感じだな〜。
そうして翌日、きのうとは打って変わった凪の海上、キラキラ輝く水平線から現れたホクレア号が見えた。そして視界が不意にくもり・・本当にシーカヤックやってよかった!って海の上にて思えた。出迎える祝島の神舞の櫂伝馬船にも涙が出た。
この時のことが、今回横断隊に参加して、出来れば再びカヤック漕いで祝島に行ってみたい、と思った自分の背中をポンと押してくれたと思っている。
そしてあの日以来、何故かそれほど波は怖くなくなった。強い風や潮は、そりゃあ向かい
となるとしんどいけど、2年前の初日最後のように、海にむかって「くそっ!くそっ!」って悪態つきながら漕いでる自分は今回見なかった。普段、母なる海よ、なんて言ってるくせに、糞っ!って事はないよな〜と、今思い出してもかなり恥ずかしい。
まあ、今回もみんなについていくのが必死で、ヒ〜、ヒ〜、フ〜みたいに、気がついたらラマーズ法のような息を吐いてはいたけれど。
その甲斐あってか?、無事めでたく生まれました。新しく、自分自身が!
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今回も、たしかに、向かい風吹き荒れる中や向かい潮の中、みんなについていくのは本当に大変で、すこしづつ遅れ始める自分の漕げなさに情けなく、イヤになりかけた事も何度かあった。けれどその時々のなかで、その時のリーダーが後ろを気遣って漕ぐ手を少し止めてくれたり、逆にこうやって漕ぐんだぜ、とばかりに力強くその背中で教えてくれたり。
また原田、原両ベテラン隊員が付きっきりでアドバイスしてくれたり、元準さんにはその優しい笑顔で励ましてもらったり、ユウジ親方には叱咤激励いただいて、時々萎えそうになるオトコゴコロを奮い立たせてもらったり・・・。
いや〜、本当にありがとうございました!
何より、毎日毎日、今日もなんとか行けた、と上陸地で一息ついてた時に「漕げてるよ。
行けるよ!」とか「祝島まで行こう!」と言ってくれた内田隊長やベテラン隊員たちのその言葉が本当にうれしかったし自信になったし、なにより翌日への力になった。
まことにありがとうございました!
また毎日のキャンプ地でのひと時は格別で、流木の焚き火を囲みながらの海族の宴ミーティング。バカ話もさることながら、今日あったことの反省を明日への課題にと、確信的に議論を焚きつける。日々、そのことがいかに大事かと、あらためてチーフとしての内田さんのでかさを垣間見た。
またそんな宴にもめったに顔を出す事なく、一人自分のペースを保っていた高橋隊員の姿にもまた、自分の体調管理を徹底することで、だからこそ漕ぎ切ることが出来るんだ、という瀬戸内横断の厳しい別の側面を見せてもらったようにも感じている。
ありがとうございました!
2日目あたりから腰に違和感を感じだし、3日目終わった時にはカヤックから出るのもままならないほど激痛が。これが続くとヤバいなとマジで思ったけれど、皆からのシートや足位置等のアドバイスと原くんからの鎮痛剤のおかげでどうにか事なきを得て助かった。
また蒲刈B&Gでは夜、温泉をいただき、身体が本当に生き返った。
う〜〜っ、ありがとうございました!
村上水軍末裔のリーダーによる仙酔島、阿伏兎観音参拝。ルーツはこの辺りだと言う、野村隊員による豊島の家船見学。初心者には、皆についていくだけで精一杯の、美しい瀬戸の景色にもあまり目もくれれない日々ではあったけれど、時折こんな時間を作ってくれてうれしかった。瀬戸内に生まれ育った身としては初めての場所も何故かなつかしい原風景。時々晴れた凪の海を漕いでる時には少年時代の夏休みに遊んだ頃の原体験、故郷の海にフラッシュバックしてしまう事もあった。連綿と続く信仰、伝統、文化、この海の生き方、生きる道。
そんなセト・ヤポネシアン WAY OF LIFEに思いを馳せる事が出来た瞬間!
おおけよ!(赤穂弁でありがとう!)
原則無補給での食料、飲料ではあるけれど、初めての体験で似たようなものばかり用意してしまった、味気ない毎日の自分の食卓事情には、白石の民宿原田でのバーベキュー、蒲刈B&Gでのケンちゃんからのおでん、木村先生の土手鍋、倉橋のキャンプ場でいただいた摘みたてみかん、五福さん、あっちゃんからの毎朝のアリナミンA含めた差し入れの数々に本当に元気をいただいた。
ごちそうさまでした。ありがとうございました!
ごちそう、といえば最終日。長島での昼食休憩の時に、海を漂う大きなスズキを村上くんが手掴みし、それを赤塚くんが3枚におろして刺身にしてくれた。さっそく皆でいただいて残りは祝島の打ち上げでありがたくいただいた。絶品! ほんと、うまかった!
海の神様の恵み。ありがとうございました!
”ミサゴが舞い ツワブキの黄色い花が咲く浜辺 海の碧さよ”
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こうやって思い出してみても夢のような時間のなかで、それらを共有出来たのも、言うなれば日々皆んなに助けてもらったからに他ならない。横断隊の原則は自己責任で参加する自立したカヤッカーであったはず。自分はと言えば、やはり自分自身だけでは到底今回のようには漕げないなと、まだまだ自覚するカヤッカー。みんなに世話になりながら何とか引っ張ってもらったから漕ぎ切れた、とは当然だ。自分から周りのみんなにしてあげたことも思い浮かばんし、毎日、その日、その時のことで精一杯だった。だから只々感謝、感謝の言葉しかない。もちろんそんな実態であっても漕いで祝島まで行けた事は本当にうれしい。
その日、その日と思って漕いではきたけれど祝島が今回もゴールだったからこそ、苦しい時のふんばりになったんだと思う。ホクレアではないが、「心に見えない島影を見る」その心に描いた島が祝島だったのは大きかったと思う。
だから最後の日、本物の祝島が見えた時の感動は大きかった。途中半ばあきらめかけたこともあったけれど、何とかギリギリの日程でここまで漕いで来た、その目指すべき島が現れた。
日の光が幻想的に照らす祝島があまりに神々しかったこともあったしね。
また、だからこそ、四代から半島を回って見えた上関原発予定地のボーリング調査台船並ぶ光景が、一際異様に映った。過去〜現在〜未来へと、その現実の空間だけではなく、時空をも超え漕いできた。そんな感覚研ぎ澄まされた最終日の自分たちには、寒々しい荒れた海に立ち並ぶ、打ち込まれた楔のような建造物を間近に見て、深くこころにも突き刺さるかのようだった。
これがおれたちの生きる時代の姿だと、最後の最後で見せつけられた。
神々しい光に包まれた聖なる島と、暗い海に並ぶ墓標のような人工物。一生忘れられない光景だ。
風や潮も試練だったが、この現実こそまさに試練。
さて、どっちへ向かう? この人生、この時代。
さあ、神住まう島を目指して漕いでいこう!
波高けれど向かう先には待ってくれてる人もいる。
ホクレアの来た海。神様の船が出迎えた海。
来るものを試すかのように、今回も一際海は荒れているけれど、やっぱり感じる、
ここの海はやさしいな〜、女性的な感じだな〜。
母なる海、その大いなるところ、聖なる場所・・、
その美のなかを漕ぐ!
PADDLE IN BEAUTY !
最後に、山戸さん、孝くん、清水さんはじめ、歓迎してくれた祝島のみなさん、サポートしてくれた全ての方々、六ヶ所村の同じ想いを伝えに祝島に来てくれた鎌仲ひとみ監督や冨田タカくんたち、お世話になった全ての方、こころから感謝いたします。ありがとうございました。また、内田さんはじめ隊員のみなさんにも改めて深く感謝します。ほんとうにありがとうざいました。来年もまた、どうぞよろしくおねがいいたします。
もちろん海の神様、海の観音さまにも、お導きと何よりの無事を感謝して、
二礼二拍手一礼 合掌三拝
ALL MY RELATIONS !
ハル・スロータートル
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*瀬戸内カヤック横断隊のレポートのために書きました。他のレポートや写真はここへ
http://blogs.yahoo.co.jp/oudantai/
*「ホクレア来島!」について詳しくは祝島市場HPへ
http://www5d.biglobe.ne.jp/~jf-iwai/sunameri_hokule'a.htm#raitou
*'05年、初めてシーカヤックで原発予定地を漕いだ時のこと
http://www.walkinbeauty.net/report2005_07.html
*ストップ上関原発
http://stop-kaminoseki.net/action.html
*映画『六ヶ所村ラプソディ」
http://www.rokkasho-rhapsody.com/
*今回世話になった瀬戸内の強者プロカヤッカーたち。ぜひ瀬戸内漕いでみたい人は
連絡してみてください!シーカヤック体験ぜひ!!
*四国の徳島県鳴門市、うず潮越えて小豆島〜水平線目指しどこまでも? HORIZON
http://www.horizon-kayak.com/
*岡山県笠岡諸島にある白石島、民宿原田のカヤックあいらん堂
http://ww3.tiki.ne.jp/~harada-/page014.html
*広島県福山市、しまなみ海道をナワバリとする水軍末裔Mr.スローハンド。村上水軍商会
http://www.suigunkayak.com
*山口県周南市、周防灘にある島で冒険学校もやっている。上関〜祝島は、ダイドックへ
http://www13.ocn.ne.jp/~daiduk/
■バックナンバー |
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2009/1/19 15年目の神戸〜and beyond |
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2008/12/25 2004〜DAYS JAPAN復活! |
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2008/12/25 1988〜DAYS JAPANとその時代 |
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2009/2/6 第6次瀬戸内カヤック横断隊〜WATERMEN FOR PEACE ! |
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2007/12/20 PADDLE IN BEAUTY! |
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2007/9/5 2007年夏、ビッグマウンテン |
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2007/1/12 ヤポネシア横断隊ありがとう! |
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2006/8/26 10周年!フジ・ロック '06ありがとう! |
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2006/1/21 瀬戸内横断隊に参加して |
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2006/1/20 1・17 KOBE |
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2005/8/20 フジロックありがとう! |
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2005/8/20 ON THE OCEAN ROAD |
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